「鉄血のオルフェンズ」の物語構造を考える①

※当然ですがネタバレがあります。
※アイン目当てで視聴した女オタクが書いてるのであんまり真に受けないでください。


鉄血のオルフェンズ」(以下「鉄血」)の魅力は、手描きのMSバトルシーンなどいろいろとありますが、わたしはその物語構造に大きな魅力があると思っています。

この物語は、エンタメ作品であることを自覚しながら終盤エンタメのアイデンティティである「筋」を自ら放り投げているという根本的な問題も抱えていますが、まあその点については散々言われているので今回は見ないフリをします。いつか別の記事で、なぜそういうことになったのかも考察してみたいと思うのですが。


では、「鉄血」の物語構造がどうなっているのかを分析してみたいと思います。
そもそも物語構造とは何かという話ですが、簡単に言うと「誰が何をしてどうなる」物語かということです。

構造を考えるにあたっては、物語の中の二項対立を掴むことが重要になります。
(エンタメの)物語は登場する人物たちの関係性で成り立つものであり、物語をもっとも動かす=ドラマチックな関係性は二項対立だからです。


まず、この作品の中の大きな二項対立を取り出してみます。
物語全体を通して一番大きな二項対立は<火星/地球>です。
これは鉄華団ギャラルホルンとほぼ同値です。実際はギャラルホルンの方が一枚岩ではなかった、というのが2期のメイン・ストーリーですね。

火星は貧しく、反対に彼らから搾取している地球は富んでいます。
鉄華団の子供たちはオルフェンズ=孤児ですが、「母なる地球」に住む人々には基本的に親がいます。
もちろんマクギリス・ファリドのような者もいて、だからこそ彼は鉄華団に接近してくるわけですが。

抽象的に捉えるなら<持たざる者/持つ者>という構造が「鉄血」の世界にはあるわけです。


ところで、鉄華団阿頼耶識という厄祭戦の遺物を使って闘いますが、ギャラルホルン阿頼耶識を否定しています。
阿頼耶識という点では、逆に鉄華団が<持つ者>、ギャラルホルンが<持たざる者>となる……ように見えます。

実際にはギャラルホルン、そしてその頂点に立つセブンスターズこそが厄祭戦阿頼耶識を生み出した張本人です。
ギャラルホルン阿頼耶識においても<持つ者>だったということになります。
しかしながら、彼らは「持つ」ことを否定した。
戦いの末、「<持つ者>は不幸になる」という結論にたどり着き、自ら<持たざる者>の道を選んだのです。

この「<持つ者>は不幸になる」というルールは、厄祭戦以降の人々にも適用されます。正確に言うと、「持っていないはずの力を後から得た」者です。

阿頼耶識を得たグレイズ・アイン
バエルを復活させたマクギリス。
そして一大組織となった鉄華団

彼らの顛末は、300年前の歴史がすでに暗示していたのです。


余談なのですが、持つ者を不幸にする阿頼耶識とはそもそもいったいなんなのでしょうか。

仏教用語としての阿頼耶識は、簡単に言うと「無意識の倉庫」です。
無意識のうちに抱いた欲求や感情、思い浮かべた言葉などがすべてそこに収まっています。
そして、阿頼耶識から無意識が取り出されると、その無意識に影響されて、人間は「○○したい!」と意識して行動する、という感じです。

阿頼耶識システムは、パイロットの脊髄に機械を入れて身体とMSを接続することで、脳が直接MSのシステムとつながるため、訓練やマニュアルの読み込みなどをしなくてもMSを操縦できるというシステムです。
つまり、本人が知覚できないところ=阿頼耶識から操作方法などの情報を取り出し、実際の行動に繋げているということになります。

この「無意識」のセンス、わたしにはどうもニュータイプとよく似ているように思えてなりません。
阿頼耶識を持つ者は不幸になる」を「ニュータイプを持つ者は不幸になる」に置き換えると……。
「鉄血」は言われているより、けっこうガンダムらしい作品という気がしてきませんか。


閑話休題。物語構造の話に戻ります。
<持たざる者>である鉄華団が、<持つ者>であるギャラルホルンに歯向かい、その力の一部を勝ち取る。
これが「鉄血」1期の物語です。

そして2期、<持つ者>となりつつある鉄華団は「<持つ者>は不幸になる」というルールに飲み込まれそうになり、火星へ戻るも<持たざる者>に戻ることはできなかった。

1期で獲得した<持たざる者>という鉄華団(火星)のアイデンティティを、2期で地球にいるうちに喪失していく、というのが大きく見たときの構図だと思います。


次に、個人単位での二項対立をとらえてみます。
「鉄血」の主人公は三日月・オーガスですから、当然彼にまつわる二項対立が最も物語を動かします。

先に言ってしまうと、わたしは<三日月/アイン>が、三日月が関わる二項対立の中で最も物語構造的に重要な関係だと考えています。

三日月と二項対立関係にある人物は、オルガやクーデリア、ハッシュなど複数名います。
(主人公だから当然なのですが)
その中でなぜ<三日月/アイン>を取り出して重要視するかというと、一見対照に見えるこの2人が、実は線対称だからです。

ちょっと何を言っているかよくわからないと思います。ごめんなさい。
2人の関係を、先ほど整理したマクロ的な二項対立で見てみましょう。

まず、鉄華団ギャラルホルンが当てはまります。
これには疑いの余地はありません。

それなら、ほぼ同値の<火星/地球>にも当てはまる……となりそうですが、そうはなりません。
アインは地球人と火星人の混血だからです。
父が地球出身のギャラルホルン士官とはいえ、アイン自身は火星育ちで地球に降りたこともない様子でしたから、むしろ三日月と同じく火星側に属していると言えるでしょう。

また、<持たざる者/持つ者>という関係にも当てはまらないと推測されます。
三日月は親のいない孤児です。これは明らかですね。
アインのほうは本編で詳しく語られませんが、おそらく両親が揃っている家庭ではなかったのではないかと思います。
ギャラルホルンではコロニー出身者に対する差別が横行しています。
士官が火星人と家庭を築くというのは、まず不可能なのではないでしょうか。
職より家庭を取った、という話ならまだありえると思うのですが、「父のおかげで火星人の血を引く自分もギャラルホルンに入隊できた」とアインが語る以上、父は今もギャラルホルンに所属していると考えるのが自然です。
これはあくまで推測ですが、「地球人の士官が、火星出張のとき火星人の女と遊んだらできてしまった子供」というのがアインの境遇ではないでしょうか。
この仮説が正しければ、アインもまた<持たざる者>、火星のオルフェンズです。

以上から<三日月/アイン>は所属組織を軸とした線対称な二項対立であるということが言えます。


だからなんなんだという話なんですが、「線対称である」ということは、つまり三日月とアインは全く同じ運命を辿ることを意味します。
具体的に言ってしまうと、25話でアインが死んだ時点で、50話で三日月が死ぬことは決まっていたということです。

わたしが「鉄血」の物語構造に感じている最も大きな魅力は、アインの顛末から三日月の運命が分かることもそうですし、前述した厄祭戦の歴史が現在のキャラクターの行末を暗示しているのもそうなんですが、過去・現在・未来で同じことが形を変えて繰り返されているという、このループ的な性質です。
鉄華団は可哀想な<持たざる者>で、ギャラルホルンは悪逆非道の<持つ者>といった簡単な対立関係に落とし込まず、よく見れば敵味方関係なく中身は同じであるというのがとても面白いと思っています。


三日月とアインの共通性を本編で分かりやすく象徴しているのが、悪魔という言葉です。
グレイズ・アインは25話後にエドモントンの悪魔と呼ばれており、三日月も最終決戦時に鉄華団の悪魔と言われます。
主人公と1期のラスボスがまったく同じ異名で恐れられるというのはとても象徴的だなと思います。

「鉄血」は悪魔を倒した英雄自身が悪魔になっていく物語なのです。
あるいは、悪魔が悪魔を倒して、さらにその悪魔も別の悪魔に倒される物語と言ってもいいのかもしれません。

また与太話ですが、ガンダムシリーズで悪魔と言えば「連邦の白い悪魔」でしょう。
個人的にはやっぱり、「鉄血」ってすごくガンダムらしい骨格を持っていると思うんですよね。
(もちろん終盤の展開は色々と問題を抱えているので、こういうことをあまり言われないのも理解できるのですが)


ところで、三日月とアインは<鉄華団ギャラルホルン>という点では二項対立である、と書きましたが、実際には鉄華団ギャラルホルンにも似ているところがあります。

また厄祭戦の話になるのですが、過去に目を向けるとギャラルホルンは「戦いを終わらせるために戦った」「そのために阿頼耶識を使った」人々によって作られているんですよね。
この点から、ギャラルホルンは<鉄華団>(に性質がよく似た組織)から始まっていると言ってもいいかもしれません。
そう考えると、鉄華団ギャラルホルンの戦いというのは、同一人物の過去と現在が戦っているようなものと言えます。
戦いの中で正しいアイデンティティが確立されて生まれたのが50話の新生ギャラルホルンの秩序、選び取られた世界のアイデンティティというわけです。


また、鉄華団ギャラルホルンには他にも似ているところがあります。

話が戻りますが、鉄華団が使う阿頼耶識は、パイロット本人の身体とは違うところから力を引き出して利用するというシステムです。
ギャラルホルンは現在では阿頼耶識を認めていませんが、実はよく似たものを持っています。
それが「悪魔」、またの名をガンダム・フレームです。

作中で、厄祭戦の際に製造されたガンダム・フレームは72機であるという説明がされます。
この「72」という数字は、ソロモン王の72柱の悪魔と一致します。
実際、ガンダム・フレームの各機体にはすべてその悪魔の名前がつけられています。
アグニカとセブンスターズは、自分たちの生み出した力がいかに不幸を生み出すかということに、かなり自覚的だったのかもしれませんね。

基本的に、悪魔とは人間に召喚されてその力を発揮するものです。
力を違う場所から持ってくるという点で、概念的には阿頼耶識とやっていることはそう大差ないわけですね。
しかし、バエルも悪魔であるということを考えると、マクギリスは悪魔を復活させて世界を救おうとしていたことになります。
まあ、そりゃうまくいかないよなあ。


ここまで二項対立で「鉄血」の物語構造を捉えようとしてみました。
ここからは別の視点から「鉄血」の物語を考えてみようと思います。
ただ、ちょっとダラダラ書きすぎてあまりに長くなってしまってるので、②へ続きます。(ごめんなさい)
②では神話の時代から続く定番テーマ<父殺し>から「鉄血」の物語を考えます。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!ダラダラしててごめんなさい!