「鉄血のオルフェンズ」の物語構造を考える②

※オタクが好き勝手言ってるだけなので真に受けすぎないでください‼️

物語構造には、神話の時代からのステレオタイプがいくつか存在します。
その中で、今回は<父殺し>というテーマを取り出して「鉄血」に当てはめてみようと思います。

<父殺し>というとなんとも物騒ですが、実際に殺すとは限りません。
概念的な話で、要は「息子が父を超えて自立する物語」という意味です。
ここで言う<父>は実際の血が繋がった父親である必要はなく、「自分を守ってくれる存在でもあり、越えなければならない障害でもある人」という感じで解釈してください。

ここからは、「鉄血」の中のキャラクターたちが<父殺し>を達成できていたかどうかを考えてみます。


まず、本編で一番父親の存在感があるマクギリスから考えてみましょう。
彼の父親はイズナリオ・ファリドです。
養育者でありながら、トラウマを植え付けた最大の障害。まさに<父>ですね。
エドモントンの戦いの後、マクギリスはイズナリオを失脚させるので、<父殺し>は果たされているように思えます。
しかしながら、終盤にイズナリオがマクギリスの生い立ちを(自分の悪行とともにではありますが……)世界に告白し、マクギリスは窮地に追い込まれます。
マクギリスは<父殺し>を達成しきることができなかったのです。

ところで、マクギリスは幼い頃からアグニカを目標としてきましたが、アグニカはギャラルホルン創始者、言ってみればセブンスターズの<父>です。
そのアグニカになるというのは、つまりイズナリオの<父>になるということを意味します。
父というのはすべての息子にとって強大な障害ですから、父の父になってしまえば、その時点で父に勝ったことになります。

マクギリスが<父殺し>を達成できなかったのは、この「父の父になる」という方法に問題があったからではないでしょうか。
イズナリオという圧倒的な権力を持つ者から虐待を受けた自分の人生自体をなかったことにしてアグニカという<父の父>になることは、つまりマクギリスとして、自分自身で<父>を殺しきることは不可能だと諦めたということになるのではないか、と思うのです。


次に、マクギリスの親友にして宿敵、ガエリオについて考えてみます。
ガエリオの父はボードウィン卿ですが、マクギリスと違ってガエリオはトラウマを植え付けられたわけでもなく、ごく普通に、年相応に自立しているように見えます。
本編において、ボードウィン卿がガエリオにとっての「越えるべき障害」かというと、そうとは言えないと思います。
物語構造におけるガエリオの<父>を考えるにあたっては、ヴィダールとはなんなのかという問題を整理する必要があります。

ところで、本編ではガエリオは死んでヴィダールに生まれ変わったんだというスタンスを本人が取っていますが、最終的には名実ともにガエリオに戻るので、マクギリス→アグニカ(バエル)とは違い、精神的にも物語構造的にも生まれ変わりではなく全くの同一人物と考えていいのではないかなと思います。

ヴィダールという名前はおそらく北欧神話に由来しています。
「ヴィーザル」という表記のほうが一般的な様子ですが、ヴィダールでも一応検索に引っ掛かったので発音の問題でしょう。
ヴィダール北欧神話の主神・オーディンの息子で、オーディンを食べてしまったフェンリルという狼を倒し、父の仇を取ったという逸話があります。
つまり、オーディンにあたる人物がガエリオヴィダール)の<父>だと考えられます。

誰がオーディンなのかを考える手がかりは本編中にいくつかあります。
まず、ボードウィン家の宇宙艇スレイプニルですが、これはオーディンが乗る軍馬の名前です。
それから、キマリスの持つ槍グングニールですが、これもオーディンの持つ武器です。
ここから、「鉄血」におけるオーディンガエリオにとっての<父>はボードウィン家そのものなのではないかとわたしは考えます。

ガエリオは育ちのよさゆえ善良で、そしてそのせいで真逆の環境にいるマクギリスの本心を理解することができません。
分かりやすいのが「パン食べるのも速いしね」という幼少期のセリフだと思います。
マクギリスからすれば、パンを食べるのが速いのは飢えていた時代があるからで、それはつまり育ちの悪さの象徴なのですが、そもそも飢えを知らないガエリオからすれば、走るのが速いのとなんら変わりない特技の一つなのです。
何が言いたいかというと、ガエリオがマクギリスを理解する上で最大の障害となっていたのが、ボードウィン家という恵まれた環境だったということです。

このように考えると、ガエリオはボードウィンの名を捨てることで<父殺し>を達成したと言えるのではないでしょうか。
そして、<父殺し>を経て正しく自立したからこそ、マクギリスを理解し、そして倒すという目標を遂行できたというわけです。


次に、アインについて考えてみます。
実の父は地球人士官であり、また多くの地球人たちに差別的な扱いを受けていることから、地球そのものが障害となっているとも考えられます。彼に給料を出しているギャラルホルンも地球の象徴です。
ただこれだとスケールが大きすぎていまいちよく分からないので、もう少しまともに考えてみます。

普通に考えると、アインの<父>はおそらくクランク二尉でしょう。
見るからにそうだからとしか言いようがないですが、たぶん納得いただけるだろうと思います。
父の仇討ちというのは、つまり父より強い者を息子が倒すということですから、実質的には<父殺し>と同義です。
アインは流星号を仕留めかけましたが、ガエリオを庇うためにその場を離れて、グレイズアインへ。アインも<父殺し>は達成できていません。
グレイズアインについては、そもそも本来のアインとの人格的な乖離が大きいため検討しません)

となると、アインと線対称の関係にある三日月もまた、<父殺し>は達成できていないことが推測できます。


三日月について考えます。
本編中、彼はたびたび「俺の命はオルガからもらった」と口にします。
子どもの命を生み出すのが親という存在ですから、三日月にとっての<父>は間違いなくオルガだと思います。

三日月は一貫して<父殺し>を成そうというモチベーションが欠けているキャラクターです。
<父殺し>をしなければ人は自立した大人になれません。
力があるのにそのモチベーションがないというのは、成熟を拒否することを意味します。
大人になること、親なしで自ら責任を負って生きていくことが怖い、ということです。
「オルガ、次は何したらいい?」というセリフが本編で繰り返されますが、これは明確に彼の成熟を拒否する歪みを象徴していると思います。

ただ、三日月が完全に成熟を拒否していたがというとそうでもなく、足がかりのようなものはいくつか持っていたと思います。 
まず、三日月はハッシュにとっての<父>です。
圧倒的な強さがあり、ピンチには颯爽と駆けつけてくれて、それでいて絶対に超えなければならない存在。まさに<父>でしょう。
また、本編中に三日月は農場で作物を育てることが夢だと語ります。
農業もまた、新しい命を生み育てるという「親」としての活動です。
三日月は<父殺し>のモチベーションこそありませんでしたが、<父>になることはむしろ望んでいたのではないでしょうか。

しかしながら、三日月の行動は子供のまま父親になろうとすることを意味します。
やはり<父殺し>を達成して大人にならなければ、歪みが生じてしまうのです。
後半でアトラが三日月との子作りを主張しだすことに奇妙な恐ろしさがある一因にも、三日月のこの歪みがあるのではないかと思います。
(この展開についてはそもそも流れが急という意見もありますが、個人的には見ていたときにあまりそうは感じなかったです。
それでもわたしも奇妙さは感じたので、歪みという要素がかなり影響しているんじゃないかな、と思っています)


<父殺し>については以上ですが、併せて<母>というテーマについても考えてみたいと思います。
(ここから先はこれまで以上に好き勝手言ってます、ごめんなさい)


まず、鉄華団には母という存在が欠けています。
「お前言ってたじゃねえか!死ぬときはでっけえおっぱいに埋もれて死にてえって!おっぱいはやわらけえんだぞ?こんな硬いコクピットとは、違うんだ……」というセリフが象徴していますが、彼らには単に母がいないだけでなく、やわらかく無償の愛をくれる「母らしきもの」さえも存在していないのです。
目的地が分からなくてもとにかく止まらずどこかへ向かわなければ、という鉄華団の(傍観していると理解が難しい)思考は、母という無条件で帰ることを許された場所を持たないことが大きな原因なのではないかと思います。


「鉄血」で母と言えば、タービンズの女性たちでしょう。
彼女たちは子を育て守るために戦います。
大人になれない三日月ら鉄華団とは対照的に、成熟を受け入れて母になっているのです。
鉄華団の中で、成熟を受け入れて「母」になる恐怖を克服し、タービンズの女性たちのように自立を達成したのがアトラとクーデリアです。


母について考える上で、イメージとしては結びつかないけれども検討しなければならないのがアリアンロッドです。
アリアンロッドギャラルホルン関係では珍しく北欧神話由来でなく、ケルト神話の月の女神の名前です。
この女神は、処女と名乗ったが実際には処女でなく、子を産み落としたもののその子の認知を拒んだ(最終的には認知した)と言われています。
母になることを拒否する姿勢は<父殺し>の拒否と同様に問題があると考えられますが、雑な言い方ですが「鉄血」で最後に勝ち組となるのはアリアンロッドです。
正直、単に月に関わる言葉だから月軌道を管理する組織の名前に当てられただけという可能性が高いとは思うのですが、一応由来から考えてみます。

作中、アリアンロッドはマクギリスのクーデターを止めます。
マクギリスの目指した平等な世界は実現に向かいますが、それを主導するのはラスタルを中心とした新生ギャラルホルンです。
また、ラスタルはマクギリスの主義・主張にずいぶん前から気付いていた様子があります。

以上から、アリアンロッドに認知を拒否された子供は、平等な世界というマクギリスのアイデアではないでしょうか。
ギャラルホルンの改革の必要性に気づきつつ、通常のやり方では到底変えられないだろうと考えたラスタルアリアンロッド)は、マクギリスがこのまま成長すればクーデターを起こすだろうと気づきながらも知らないふりをしていた。(処女と偽っての名乗り)
実際起こったときには、それまで知らないふりをしていたこと自体をなかったことにしてクーデターを潰し(認知の拒否)、クーデターを受けてセブンスターズが解体されたことで改革のしやすい環境を得る。
そして、最終的にはマクギリスの主義と同じ改革を進めていく(認知)。

つまりアリアンロッドという名前は、成熟を拒否する姿勢が月外縁軌道統制統合艦隊にあるからではなく、マクギリスのクーデターを育て、潰し、継承するという流れが神話と重なるからではないか、というわけです。
我ながらかなり無理やりな話です。単に月絡みだから適当に付けただけだと思いますね。


さて、母という概念と切っても切れないのが子宮です。
わたしは「鉄血」において、MSのコクピットは子宮のメタファーなのではないかと考えています。
突拍子もない論ですが、これは前述の成熟を拒否する鉄華団という話の裏付けにもなります。

鉄華団パイロットたちは上裸でコクピットに乗り込みます。
これは事実としては阿頼耶識を接続するためですが、コクピットという子宮の中にいるパイロットは胎児であるというメタファーでもあるのです。
胎児だから大人になれない=成熟を拒否するというわけです。
また、阿頼耶識の接続自体も、子宮で胎児に栄養を送るへその緒のメタファーです。

わかりやすいのが、後半で右半身不随となるも、阿頼耶識との接続時のみ身体をもとのように動かすことができるという状態になった三日月です。
コクピットは子宮でパイロットは胎児」という見方を思いついたのも、この状態の三日月がへその緒に繋がった胎児に見えたのがきっかけでした。
アトラが三日月に子作りの話をするときも、空のコクピットが背景に映ります。
また、グレイズ・アインでは、コクピットが生命維持のための水分で満たされ、その中で四肢を失ったアインが阿頼耶識に接続されています。こちらのほうが視覚的にはより子宮の中の胎児に近いかもしれません。
生命維持のための水分は羊水のメタファーというかほぼそのものです。

羊水のメタファーは他にも登場しています。
保管されていたバエルは、周囲を水に囲まれていました。これが羊水です。
そしてマクギリスは鉄華団と同様に、上裸になってバエルに乗り込みます。
この一連の過程は、マクギリスがアグニカ・カイエルとして生まれ変わるため胎児に戻ることを意味しています。
マクギリスが2期になってから計画性を失うというか、それまでのように計算高くうまいことやれなくなってしまうのも、胎児に戻ってしまったからと考えるとある程度説明がつくのではないかと思います。



特に根拠なくオタクが好き勝手言ってるだけなのに、①と②を合わせて1万字超えの記事になってしまいました。普通に反省しています。
ただ、「鉄血」は本当にいろいろと面白いメタファーや構造を持っている作品だと思っているので、まとまりのない文ながら形にできてよかったです。
放送から数年遅れて観たのでリアタイの皆さんとはだいぶ感想がずれてしまっていると思うので、誰にも怒られないといいなと祈っております。
ここまで読んでくださった方がいれば、ありがとうございました!